ささくれ塾

冒険に憧れる都会好き。世の中にささくれた事や、好きな音楽や食べ物の事を書くブログ

拡散されていた、いじめ動画を少しみた

 これは普通の人は見るべきじゃない動画だった。テロリストと見分けがつかない。

なぜ、そのようなことが起こってしまうのだろうか。教育や管理、原因はいくらでもあるように思うが、かなり稚拙だが自分なりの視点を少し書いてみようと思う。

1. 人間は根本的に自分の感情の原因を解明するのが苦手

2. 人間は自身の安全のため同調しやすい

3. 人間はスリリングな物事に興奮する傾向がある

4. 人間は自分が上に立つヒエラルキを嫌いではない

 

1.について、大人社会でも責任転嫁が行われたり、ストレスの原因を偽装し、やつあたり行為を見かけることがある。

2. これは社会における同調圧力は言うまでもなし。

3. 大勢とは言わないが、スリルが好きな人は少なからず存在する。そのような人が暴力を振るい、4. でいうヒエラルキの上にたった。その他の人は2.で書いた、安全の為に同調する。いろんな場所で言われていることかもしれないが、そのような仕組みを想定してみた。

 

つまりいじめは起こりえるという前提で対応策を考えなくてはいけないと思った。

さまざま暴力については、自分がその恐怖を知り、それが相手に最悪どのような影響をもたらすか教育をする必要があるように思う。

 

また、いじめ被害者を社会は完全に保護できなくてはならない。しかもASAPでだ。

加害者はいじめる動機、場所と時間があるからそれを行うのであって、問題時にはその機会を根絶するよう取り組まなければならない。(加害者の自宅謹慎や監視、証拠を残す対策など)つまり多くの注意力が必要なわけだが、それを教師個人の努力に依存して行うのはほぼ不可能なことのように思える。

 

わたしが子供のころは、教師は人間教育も担う存在というイメージが強く、かなり偉い存在で、親社会などと協力するような風潮があった。

いまは、ニュースなどを見ているとそのようなイメージが崩壊しているように思う。

 

教師の力が衰え、地域社会が衰退し、さらに離婚問題で片親が増えれば、道徳的な教育の機会が減り、子供社会への注意力が衰えるのは考えてみれば当然だ。

必要とされているのは、弱った注意力を補助する強力な保護プログラムなのではないかと思ったのだった。